戦後復興が進む中、祖母は九州の田舎に住み、食堂で働いていました。
そこへ東京から祖父が建築の仕事でやってきました。
スラリとした手足、「オレさ」という東京言葉。
目鼻立ちの整った石原裕次郎みたいな男性だったそうです。
祖父は建築士として、橋や国体で使用するプールを次々と作っていきました。
そんな祖父の噂はすぐに町中に広がり、女性達は祖父が食事をする食堂を探し歩き、声をかけていたそうです。
祖母は「女にもてはやされる男なんか嫌い」と取り合わなかったそうです。
しかし偶然、祖母の働く食堂へ祖父が。
「コイツが噂のやつね、まぁ顔はいいんじゃない」と素っ気なく振る舞いました。
そんな祖母の態度に祖父は「東京って知ってる?銀座の街はね、」と話しかけました。祖母が好きな歌の話などもするようになりました。
歌が大好きな祖母はだんだん祖父が食堂に来ることを楽しみにするようになりました。
ある日、一緒に働く友人が祖父を食事に誘ったそうです。
喜ぶ友人を横目に「しょせん、田舎娘をからかっただけか」とガッカリしたそうです。
祖父の工期が終わり、明日は東京へ帰る日が来ました。
祖父は祖母を呼び出し「銀座でハイヒールを買ってあげる。一緒に歩こう」と。
恋心を隠していた祖母のことに祖父は気づいてたらしいです。
そのまま二人はかけ落ち同然で東京へ。
3人の子供と7人の孫に囲まれ晩年を迎えました。
祖父が75歳の時に癌がみつかり帰らぬ人へ。
さいごのことばは「疲れたから寝るな」。
遺品を整理していると、祖母へどうやってアタックしようか悩む日記。
「すきよ、すきよ。死ぬほど好きよ」と祖父の字で書かれていました。
その日記を抱きしめ「好きなら生きていなさいよ!ほんとに死なないで」と泣いた祖母の顔が忘れられません。
written by 恋エピ公式
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