祖父から聞いた大切な話

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このお話は、私が幼い頃日本人と中国人の間に生まれた、祖父から聞いた、曾祖母と曾祖父の馴れ初めのお話です。
私の母の祖母は、中国人でした。実際に会ったことはありませんが、なれない日本の地に来て、苦労したのではないかと母は、話してくれました。
祖父の父と母は、第二次世界大戦で、日本軍が中国に戦いに行っていたときに出会いました。
もちろん、2人とも言語という大きな壁があり、お互いに話は、通じませんでした。
それでも、何かお互いに惹かれるところがあったのでしょう。
2人は、付き合うようになってから、父の住んでいるアパートに出入りしていたそうです。
母は、父の彼女だったから、敵ですが、出入りすることを認められていたそうです。
2人が付き合うようになってから、第一子となる、長女である祖父の姉が生まれました。
貧しいながらも、3人は一生懸命暮らしていました。
ある時、姉が、生豆腐を食べてしまい、お腹を壊して亡くなるという、悲しい出来事が起こりました。
そして、それからまもなくして、祖父が生まれました。
祖父は、2歳年下の妹を幼いながらも、お世話して、苦労しながらも、一生懸命暮らしてきたそうです。
祖父は、生まれてから3年が経ったある時、両親と妹の4人で、戦争の引きあげと同時に初めて、日本を訪れました。汽車に揺られて、お腹を空かせながら、父の実家まで、時間をかけて帰ったそうです。
後から聞きましたが、祖父の母は、父に「子供たちは、こちら(中国)で私が1人で育てるから、こちらに置いていってください。」と、言ったそうです。
それでも、父は「家族を残して帰れない。」と言ったそうです。
きっと、曾祖父は、曾祖母のことを、何にも変えられないぐらい、大切に想っていたいたのだと思い、
一途な愛に憧れました。
日本での暮らしは、家族にとって、幸せばかりでは、ありませんでした。
父が、マラリアという高熱を出して、話せなくなってしまう病気にかかり、生活費を稼ぐのは、母と母の仕事の手伝いをして入ってくる、お給料だけだったそうです。
祖父は、一つ年上の同級生と混じって、勉強していたと言っていたので、
すごくびっくりしたのを覚えています。
同年代からのいじめや、父の母である祖母から中国で生まれたからといって、差別をされたこともあったそうです。それでも、祖父は、辛いと感じながらも、決してめげることはなかったといいます。
お金がなく、貧しくて、日本にきてから、生まれた、妹と弟たちのために、中学を卒業してから上京し、仕送りをしながら、毎日必死で働いたそうです。
父以外祖父たちは、日本語がわからなかったので、日本に来てから、とても苦労したでしょう。
苦労しながらも、私の祖母と出会い、3人の子宝に恵まれ、2人の孫が生まれて、幸せだと、私にお話ししてくれたことを、今でも覚えています。
祖父は、自分の下にいる、3人の弟妹たちがいなくて、母と2人きりの時に、本当は姉が居たということを、母の口から直接きいたそうです。祖父は、生涯幾度となく姉に会いたいと思ったことがあったそうです。
天国で、両親と再開し、お姉さんと出会えているといいなぁと思うばかりです。
祖父の人生は、苦労の連続で、幸せなことよりも、つらいことの方が多かったかもしれませんが、
優しくて、明るい家族や親族に恵まれて、とても、幸せだったと思います。
私は、お酒とタバコを絶対に止めない頑固親父そのものの祖父だったけれど、優しい祖父の孫として、この世に生まれることが出来て、本当に幸せでした。
私は、たくさんのことを教えてくれて、たくさんの愛をくれた祖父のことが、本当に大好きです。
そして、中国出身の曾祖母は、私の憧れであり、誇りです。
いつか、会いたいと思っています。いつかは訪れるその時まで、私にご先祖様たちがくれた、この大切な命を、一生懸命生きようと思います。
このお話は、私に子供が生まれて、年老いても、語り継いでいって欲しい、大切なお話です。

written by 月城姫桜蘭

エピソード投稿者

月城姫桜蘭

女性 投稿エピ 1

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