必死に愛した話『国防男子』

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私が20歳で、彼は陸上自衛隊で働く22歳でした。

友人に誘われた合コンで知り合い、お互いまだまだ遊びたい盛りだったので、何気なく声をかけて、何度か遊んで気が合うなーと思っていたところ『大切にするから』と、好きと言うのは胡散臭くなるからと彼なりの最上級なセリフで付き合いをスタートしました。

スポーツ万能な彼はとても魅力的で、何をやらせても大体はできる。
足も早い、サッカー、スキー、スノーボード、水泳もばっちり。悔しいくらいでした。
周りからの人望も厚く、いつもたくさんの仲間に囲まれていました。

彼に勝るものを私は何ももっていなかったけど、少しだけ歌が上手くて、カラオケではよく彼に褒めてもらいました。
そんな小さなことも気づいてくれる彼を私は大好きになっていました。

そして、なんと言っても、迷彩服がかっこいい!

余談ですが、この時から私はミリタリーヲタクになりました(笑)

週末しか外に出れないので頻繁に会えても週に1回。緊急の任務や訓練が入ると1ヶ月会えないなんてことはザラにありました。
あとは、あまり遠出や旅行に行けないこと。
有事の際はすぐさま出動があるし、若かったので上司に了解を得るのも色々と面倒なことが多かったのです。

それでも、私たちは平気でした。

会える週末は私の家で寝る間を惜しんで話し込んで飲み明かし、たまに自衛隊の仲間たちとも一緒に飲みに行き、映画好きな彼だったので映画館もよく行きました。

すごく楽しくて、彼に出会って人生観が変わるくらいの幸せでした。

私の生い立ちは少し複雑で、普段は明るく務めていますが、本当は常に寂しさがつきまとい、誰かに愛されたいと思っていました。歴代の彼氏は、それはもう、、酷い有様でした(笑)

彼は彼で母子家庭で育ち、それなりに悪さをした学生時代を経て、親に心配をかけないために自衛官になったと言ってました。
その話を聞いて、彼もきっとたくさんの我慢をして、きっとたくさん愛されたかったんだなと感じました。

私たちは、いつしかお互いの傷を埋めるように、人に対して閉ざした心をこじ開けるようにして、ぶつかっては認め合い、惹かれあい、深く深く繋がっていきました。

4年の歳月がたち、私たちも出会った当時よりは大人になりました。

そして、その春、彼の転属が決まりました。

結婚するかしないか、そんな話がチラホラ出ていて、私も準備をしていたところでした。

そんな時に私の病気が発覚。

必死に彼氏を育てた義母にも、これから大事な時期に突入する彼にも迷惑をかけたくなくて、彼に本当のことを話せず、私から別れを告げました。

彼は、私を責めることも問い詰めもしませんでした。『お前が決めたことなら仕方ない。結婚したかった。』と、それだけ告げて、去っていきました。

周りの仲間たちも私たちの別れに驚き何度も復縁を勧めてきましたが、私が頑なに拒否し、病気を治すことに専念しました。

痩せ我慢をしたのは私なのに、片時も彼を忘れたことはありませんでした。

それから2年、私は健康な体を取り戻し、周りからの勧めで彼に会いに行きました。

そこで初めて本当のことを話しました。
病気のこと、本当は結婚したかったこと、誰よりも愛していたこと。

彼は、病気に気づいていました。

そして、自分が不甲斐ないからお前にそんな決断をさせてしまった、俺にはお前を幸せにする権利はない、すぐに駆けつけなかった俺が悪いと、自分を責めていました。

もう彼には、結婚を約束した新しい彼女がいました。

会うのはこれで最後にしようと、お互いに決めました。

『この先もお前を忘れることはない、一生忘れない、本当に好きだった』

『私も忘れない、本当に大好きだったよ』

強くて、優しくて、逞しい彼の涙を見たのはこれが最初で最後です。

今では子供も産まれ、立派にお父さんをやっているとのこと。
私も別な人と結婚し、必死に子育てをしています。

悲しい悲しい出来事でした、でも、人に愛され、人を愛すことを教えてくれた大切な人です。

これからもどうか健康で、幸せに、暮らしていってほしいと、心から願っています。

written by 朝露

エピソード投稿者

朝露

女性 投稿エピ 1

子育てと仕事でてんやわんやの未亡人です(^-^)/