大学4年生の8月、2つ年下の彼と付き合い始めました。
彼と付き合い始めて2ヶ月が経った頃。
母に癌が見つかり、母は私のひとり暮らしの家から20分くらいの場所にいる病院に週1ペースで通っていました。
ある日、母が病院帰り、私と彼はデートの途中で、3人で会うことになりました。彼も母もとても緊張している様子がおかしくて楽しかったです。。母に彼を紹介できたこと・彼に母と会ってもらえたことが私はとても嬉しかったです。
それから2ヶ月が経ち、季節は冬になりました。
私は父から、母は末期の癌で治る希望はほぼないことを知らされました。母は私達娘には言わないでと言っていたそうです。
治ると信じていた私は、それまで空き時間にしかお見舞いに行っていませんでしたが、大学の授業のあと友達と話すことなくすぐに帰ったり、バイトや彼と会う時間を減らし、母に可能な限り会いに行きました。
どんどん弱っていく母を見るのはとても辛かったし、その辛さを母に悟られないようにするのもとても辛かったです。毎日辛さに耐える日々でした。
そんな私を支えてくれたのは彼でした。
短い時間でも私に会いに来てくれたり、電話をかけてくれたり。弱っていく私の為に彼はたくさん時間を作ってくれました。
「聞いてあげることしか出来ないし、傍にいることしか出来ないけど、君が悲しいと俺も悲しいから。」と言ってくれました。
そして、2月初旬。珍しく雪が降った日。
母は、私の家に泊まった日の朝、私とバイバイした後、途中の駅で倒れ、救急車で運ばれました。
私も母の病院に駆けつけましたが、運ばれた日の2日後、目を覚ますことなく亡くなりました。
私は泣くことしか出来ず、どうして病院まで送り届けなかったのだろうと後悔するばかりでした。
母を亡くした私は、放心状態でしばらく何もする気になれず、人に会う気にもなれませんでした。
大学卒業間近で、友達と計画していた旅行も全部キャンセルしました。
そんな私を彼はとても心配し、電話をくれていろんな話をしてくれたし、夜中でも会いに来てくれて、いろんなところに連れ出してくれました。
短大の彼とは卒業のタイミングも一緒だったので、国内ですが、彼は卒業旅行にも連れて行ってくれました。
「母が亡くなって大変な時期なのに、彼氏と旅行に行くなんて」と祖母や親戚には大反対されました。私もこんな状態で楽しめるか不安でしたが、
「俺となら大丈夫!楽しめるしリフレッシュ出来るよ!」と言ってくれました。とても楽しい旅行で心も体もリフレッシュ出来ました。彼を信じて旅行に行って良かったです。
母が亡くなってから、元々友達が多かった私ですが、会う友達が減りました。
本当に信用出来る友達にしか会う気になりませんでした。
常に傍にいてくれて、その時の私をいちばん理解してくれていた彼ばかりの日々になってしまいました。いわゆる依存です。
大学を卒業し社会人になり、会う回数は減りましたが彼との付き合いは続いていました。
小さな喧嘩をしながらも仲良く過ごし、いつか結婚するだろうとお互い思っていたし、彼の友達も私の友達も私達2人は結婚すると思っていました。
傍にいるのが当たり前で、居心地がよく、家族みたいな存在になっていました。
しかし、社会人3年目の春、大きな喧嘩をした私達は、彼は私に好きという気持ちが無くなっていることに、私は彼への感情が好きではなく依存だということに気付き、別れることにしました。
まだ20数年しか生きていませんが、お母さんを亡くすという、今までの人生の中でもこれからの人生のなかでも、いちばん辛い出来事を彼のおかげで乗り越えることが出来ました。
別れてしまいましたが、彼には感謝でいっぱいです。感謝してもしきれません。
これからいろんな人と出会い、いつかは私も彼も他の誰かを好きになるでしょう。
それでも私は、人生でいちばん感謝したい人に彼の名を挙げるし、私の辛い時期を見てきた彼に、私が幸せになる姿を見て欲しいとも思います。
written by あや
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