自己肯定感が低い原因あるある。失恋から自信を失ってしまったときは
女性に振られると、自己肯定感を失ってしまう、これが無かったり低いままでいると、次の恋愛すらできなくなってしまいます。
自信という言葉とも似ている、でも少し違うのが自己肯定感なのです。
ステキな恋愛をするためにも、これは絶対必要で、生きるうえでも同じことが言えます。
自己肯定感が低い原因を探って、新たな恋愛に目が向くために読んでみてください。
自分を自分で認めることが自己肯定感
自己肯定感と言っても、少し難しいですよね。
自己肯定感とは、自分を自分で認めること、生きている自分に対して、存在している意味を見つけることなのです。
存在している意味って、要は死なないで生きること?と思ってしまいますが、もっと簡単に考えると、「生きること」だけでいいのです。
「生きたい」と考えることは少ないでしょう。
でも、死にたいと考えるのも、苦しそうとか怖いとか、どちらかと言えばネガティブな感情が連想できますよね。
生きるためには、それなりの理由がないとできません。
ここで言う理由とは、別に「美味しいものを食べたい」でも構わないのです。
彼女が欲しいにしても、生きる理由になるわけです。
ところが、これを失ってしまうと、「生きる理由、存在する意味」が見えなくなってしまいますから、最終的に自己肯定感が無くなっていくのです。
この可能性は、誰にでもあること、少しイヤなことがあれば、誰だって大きく道を踏み外す可能性があるのです。
普段生活している中で、どんなことが起こるか分からない以上、ちょっとしたことがきっかけで、自己肯定感を失うところまで加速する可能性があるのです。
恋愛だけに限りませんが、「ちょっとした喜び」を持っているだけで、実は回復して、ヒドイ症状にならなくて済むのです。
普通に生活していれば、ここまでに陥ることはありませんが、本当に落ち込んでいたりすると、こんなことがあるのが人間です。
自己肯定感を失うと、生きることすらイヤになる
先の説明から考えて、自己肯定感は生きるために必要な要素と言えます。
自分を認めないとなると、生きる意味を失い、生きることそのものがイヤになってしまいます。
こうなってくると緊急事態、だから生きる意味を持っていることが大事なのです。
また、「あまり生きる意味に固執する」のも、実はマイナスな感情だけにとらわれてしまいがちです。
完璧主義者とも似ていますが、「少しの失敗が許せない、立ち直れない」とすると、自分を責めてしまい、自分を過小評価することにつながるのです。
性格もあるかもしれませんが、「あまりクヨクヨせず」というのは本当のこと、これだけでだいぶいろいろなことから解放されます。
生きることがイヤになるなんて、大変なことですから、そこにならないための「心持ちができること」が重要です。
なぜ低くなる?自己肯定感を害される理由とは
普通に生きていれば、ここまでにはならないハズですが、なぜ自己肯定感が低くなっていくのでしょうか。
単純に、イヤなことがあったりすると、ココロが沈んでしまい、全ての物事が悪い風にしか見えなくなる、それが自己肯定感を低くする、一番の原因なのです。
「イヤなこと」なんて、生きていれば誰にでも起こりうること、テレビを見ているだけでも、全てが楽しいとは感じられませんよね。
ただそれだけのこと、そう言えるなら良いのですが、そうではない人もいるのです。
ココロが弱いとか、そういう言いかたにもなってしまうかもしれませんが、それは時と場合によります。
立て続けにイヤなことがあったり、例えば大好きな彼女に振られたり、積み重なったりして、経験したことがない衝撃となったときに、起こりやすいココロの変化なのです。
そう考えると分かりやすいですよね。
自己肯定感を低くする可能性なんて、誰にでもあることと考えて、少し自分が勝手に思っている負担を減らす努力が必要です。
言われているわけでもないのに、「周りが白い眼で見ている」ような、のけもの扱いされているときって、だいたい落ち込んでいるときなのです。
ネガティブな感情は、加速し始めると止められなくなるので、そうなる前に、少し肩の力を抜くことから始めましょう。
自分を認めてほしい、他人から認められると自分も認められるようになる
自分を認められない、そんなとき他人からも認められないようでは、ますます落ち込んでしまいますよね。
他人から認められること、仕事でも趣味でも、少し打ち込んでみるだけで、人から見られることもあるので、目の前にあることから始めるだけで前に進みます。
落ち込んでいるときこそ、手に着かないことって結構あるかもしれませんが、そうなってくると何も前に進みません。
仕事をしているなら、それに少し打ち込むこと、そうすれば周りがあなたを認めて、あなた自身も自分を認めることができます。
「誰かの役に立つこと」ができるだけ、その誰かは感謝し、あなたをねぎらうのです。
ちょっとしたことで、「自分でもタメになる」と思うことができれば、それをきっかけにして、また次のやりがいを見つけるだけのことです。
そして、こういうことは意外と目の前にあるもの、気付けていないだけなのです。
惰性でもなんでも、まずは目の前のことを普通にやる、少し打ち込んでみるだけで、自己肯定感につながるきっかけをつかむことができます。
振られたからではない、短絡的に考えると答えは出ない
恋愛の失敗は、自己肯定感に直結する問題かもしれませんね。
振られたこと、それだけを考え、「振られただけを考える」ようになると、自分を責めてしまうだけで終わる、そうではなくて理論的に考えるようにしましょう。
短絡的という言葉、内容を飛ばして結果だけを考えてしまうことですが、それを恋愛の失敗に当てはめると、落ち込むことしかなくなってしまいます。
「振られたこと」は大きいにしても、それが理由で死にたいとか、そういう感情につなげるべきではありません。
確かに大好きな彼女であったとしても、現実は変わらないのであって、元に戻ったところで解消できるとも限りません。
だって、一度は振られた事実があるのですから。
振られた理由を考えて、どうすれば良かったのか、それをちゃんと後悔し、次につなげることが大切なのです。
そうしていれば、復縁の可能性も、新しい恋の予感もあり得るのです。
逆に、そういう考えでいなくては、大好きな彼女が戻ってくる可能性すら、否定することになってしまいます。
せっかく得た、自分を成長させる材料と思って、振られた恋愛からも学ぶべきことを見つけましょう。
いつまでも閉じこもっていると、チャンスを失うことになる
恋愛の失敗だけに限らず、起こった失敗で閉じこもるのもいけません。
まったく関係のないことまで、全てがイヤなことと映ってしまい、カラに閉じこもるようになると、プラスな情報やできごとまで、手をすり抜けてしまいます。
笑う門には福来るといいますが、これは本当のことです。
笑うほどには無理としても、落ち込んでいる人を見て、周りは「そっとしておこう」と思ってしまいますよね。
それがあなた自身のことだとしたら、良かれと思ったとしても、周りはあなたを誘うことをしなかったり、少し距離をおくことだって考えられます。
失恋した、でも前向きだから次の縁談があった、もし下を向いていれば「まだそのときではないのかな」と、周りが気をまわすことだってあるということです。
落ち込む時間が長くて、閉じこもってばかりだと、次に前を向くチャンスがきても、気付けないままになってしまいます。
友達だって、落ち込んでいるあなたを、知り合いの女性に紹介なんてしづらいでしょう。
だから、周りが声をかけやすくなるためにも、いつまでも閉じこもっていてはいけないのです。
自己肯定感が必要な理由は?人間として生きていくために
自己肯定感という難しい言葉ですが、それがなぜ必要なのでしょうか。
動物とはちがう人間、単に生きるために食べているのではなく、人間は何か目的があって生きているのです。
夢があったり、少なからず「やりたいこと」があるから、生きていけるのが人間です。
「人間として生きる」ということは、彼女を作ったりという欲求も含め、「生きるだけのために生きているのではない」ということですよね。
感情があるからこそ、好きな人ができたり、結婚したいとかを思うのです。
ただ、生きるだけなら動物でもできる、でもそれは人間として生きていくなら、楽しいとは感じられないでしょう。
そして、人間は「楽しいと感じられないと生きられない」のです。
人間らしく生きていくために、自己肯定感が必要ということになります。
女性との付き合いはお互いを求め合うこと
女性と付き合うこと、それは自己肯定感を高める意味で大きな価値があるのです。
女性と付き合うことで、誰かを求め、あいてからも自分を求めてもらえる、つまり自分の価値を確かめることができるのです。
「誰かが自分を頼ってくる」って、よほどのトラブルでもない限り、嬉しいことですよね。
それが、好きなあいてからだったりすると、なおのことです。
気持ちが通じて、女性と付き合うことができるなら、きっと自分を認める糧になることでしょう。
だから、生きていくうえでは、女性と付き合うことも「大切なこと」です。
付き合いたいと思う、女性を好きだと思う気持ちは、生きていくうえで必要としていることでもあるのです。
単純に彼女が欲しいというのではなく、生きることを充実させるために思うこと、となるのが理解できるでしょう。
だって、普通に考えても、彼女がいたら嬉しくなりますよね。
飛び越えて考えるのではなく、ただ付き合うでもなく、いずれは結婚するかもしれない相手だからこそ、彼女が欲しいと考えるのです。
自信を取り戻すこと、次の恋愛に向かう一歩が出る
振られて悲しい、それはみな同じことですよね。
理由があっても、「別れた事実」は悲しいのです。
でも、振られたことで全てを悲観するのではなく、生きるためにも自信を取り戻さなくてはいけません。
振られたことで、確かに自分に対する自信がなくなったりして、次の恋愛なんて考えられないというのは理解できます。
でも、そのままでいても、「明日はやってくる」のですから、そのために何かしなくてはいけません。
何かする以上は、ココロが穏やかであるほうがラクなハズですから、そうなれるような行動が必要です。
「生きる義務」と言えば、少し重いかもしれませんが、「生きなくてはならない」とするなら、次を向いたほうがずっとマシですから。
嫌悪感は簡単、自信は難しい、それはみな同じ
イヤなことがあって、イヤな気持ちになる、それはみな同じなのです。
マイナスに思うことって、実はラクしているのと同じ、ツラくても悲しくても、それに立ち向かっていくほうが、ずっと難しいのは当たり前です。
それがラクなんて思う人はいません。
でも、生きていく以上、前を向かなくては不幸ばかりが続くでしょうし、またツラい道を自分で選択するより、少しだけ踏ん張って、楽しいほうがいいでしょう。
そうなってくると、「今、簡単な道を選ぶ」のではなく、今は少し踏ん張るだけでいいのです。
彼女との別れ、どんなカタチであれ悲しいことであるにしても、それは乗り越えなくてはいけません。
自己肯定感という言葉までいくと、本当に抜け出せなくなるので、その前に次を見て、一歩ずつ踏み出すこと、それが最後は自分の幸せにつながっていくのです。
物事に嫌悪感を持ち、悲観するのは、正直簡単ですが、ココロがすさんでしまいます。
そうならないためにも、少しずつでもいいから解消法を見つけ、小さな幸せを積み重ねながら、前を向いて生きていかなくてはいけません。
新たな恋の道も、こういったところから生まれるのですから。
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