愛される彼女になりたいの!恋と愛の意味の違いと8つのルール
本命彼女…その名のとおり、彼に愛され彼の中で一番の女であること。
妥協でお付き合いするような感じではなく、「君しかいない!君じゃなきゃダメなんだ!」と言ってもらえる存在になること。
これが案外難しかったりします。なぜなら男性は、心の部分と本能的な部分で、きっちり二つに分かれていて、好きでもない女の子といちゃいちゃできるからです。
でも、その「好き」って、嘘?本当?
そこで、男性から「心の部分」も「本能の部分」も両方から好きになってもらい、唯一無二の存在になる為に、恋と愛の意味の違いから探る8つの恋愛ルールをご紹介します。
Contents
男性に愛される為にしておく準備運動
もしかして遊ばれてるかも?そう思った時、女性は自分の価値が低くなったような錯覚を覚えます。
この男性にとって、自分はそれくらいの価値しかないんだな…すると、まるで自分が記号になってしまったような気がしませんか?
そこまでナーバスになることはないかもしれませんが、筆者は度々落ち込みました。
嘘でもいいから「君じゃなきゃいやだ!」と言って欲しかったのですが、あまりそう考える男性はいません。
愛とか恋とかなんなのよ!と自暴自棄になることもあると思いますが、ある時、根本的な部分が間違っていたことに気がついたのです。
自分の価値とは
例えば、算数のテストで出した点数が80点だとします。
その時、「まあこんなもんかな」と思うか「やったー!」と思うか「もうちょっとで100点だったのに…」と思うかは、それぞれです。
しかし、80点で満足してるわけでもありませんし、80点という名前でもありません。
たかだか算数のテストをしたくらいで、その評価が全てのように見られることに不本意と感じます。
しかし、世の中はそのようにできています。本人の中にある「本当のこと」など、あってもなくても同じです。テストというのは、たった一瞬を切り取ったものです。
時々、自分磨きをする女性の中に、テストの点数を上げようと必死になる人がいます。
点数を上げれば評価が上がると思い込んでいる人です。外見や肩書きを身につけて、100点を目指しているのです。
それはなぜかと言えば、周りからの評価が上がることによって自分の価値が上がると思っているからです。しかし、テストの点数は評価ではありますが、その人個人の価値ではありません。
愛されたい!評価されたい!と思っているうちは、その本当の意味に盲目になってしまいがちです。
他人は自分のことを記号でしか判断してくれません。唯一、自分の本当の価値に気づくことができるのは自分だけです。
まずは準備運動として、周囲の評価=価値、と思い込んでいないかどうか確認してみましょう。誰かに愛される為には、「愛される土台」を用意しておく必要があるからです。
愛は湧き出すもの、恋は弾けるもの
愛と聞いて連想するものはなんでしょうか。家族でしょうか、それとも恋人でしょうか。きれいなイメージだったり、ドロドロしたイメージを持っている人もいるかもしれません。
どちらも、それぞれ持っているイメージはあると思いますが、ひとつだけ言うとするなら、愛と恋は別のものです。
恋が成長して愛になるわけではありません。
愛と恋の違い
相手が人間以外でも恋はできます。雑貨屋さんでみかけた可愛い雑貨にも恋をしますし、道に咲いていた小さな花にも恋をします。恋は、静電気のようなものです。
条件が揃って、ぱちっと弾ける現象です。その為、ドキドキは持続できません。相手が人間でも同じです。恋は一瞬の出来事です。
このように、恋とか愛は性的な意味ばかりある印象ですが、それぞれ特性があり、別々の役割があります。恋のきっかけがなければ恋愛は始まりませんし、愛がなければ長続きしません。
愛されたいのならば…
本命彼女になりたい場合、まずはその意味を頭だけでなく心で理解することも大切です。恋愛は一人ではできません。
しかし、人は自分の外に出ることはできません。一人二役を演じるでもない限り、一人恋愛は難しいでしょう。
愛は、人から与えられるものではありません。先ほどもご紹介した通り、こんこんと泉から湧き出るもの。自分にできるのは、愛を表現し続けることだけです。
欲しい欲しいと口を開けて待っていても、親鳥が餌を運ぶようにはやってきてくれません。愛されたいのなら、ひたすら愛し続けるしかないのです。
それ以上を求めてもいけません。彼はできる限り精一杯の愛を注いでくれているのに、物足りないのはお皿が小さいからです。溢れてしまって貯まらないのです。
愛されたい!と思っている人は、誰かが何かをしてくれるのを待っている状態です。しかし、物事はそううまくはいきません。
口を開けて寝転んで、棚からぼた餅を待っているのではあまりに受身です。
もし本命彼女になりたいのなら、彼がしてくれる以上に彼に愛情を表現しなければなりません。彼がどう思っていようとも、本当の愛情を見せ続ける事によって、彼の本命になることができます。
追いかけられる女は本命彼女
本命彼女と遊びの彼女。その違いはどこにあるのでしょうか。
本命彼女のことは「幸せにしたい!」と男性は思うそうですが、遊びの彼女は「体目当て」という感じです。
でも、どちらも恋愛には変わりませんし、遊びの彼女のことだって嫌いなわけではありません。魅力が多いとか少ないとか、どっちがいい女ということではないのです。
男性に追いかけてもらう方法
男性は手に入りそうでなかなか手に入らないものが好きです。賭け事だったり、限定モノに弱い面があるのはその為です。
追いかけた女性がちょっと逃げたら、もっと追いかけたくなります。それで余計に夢中になります。この「追いかけたいかどうか」が判定基準となります。
本命彼女は、彼のことを追いかけません。いつも追いかけられる存在であることです。
追いつきそうになったら、ちょっと逃げて、たまに追いつかれるけどするりと逃げる。そうすることで、彼はどんどんのめりこみます。
自分から湧き出る愛を、ストレートにぶつけてしまうのは、愛の押し売りです。
愛はみんなが持っているものだと思いますが、恋愛においては、素材をそのまま渡すのではなく、きちんと調理した状態で渡さなければ伝わりません。
相手に渡った時に、相手の欲しい形に調理されてあれば、もらった方も嬉しいはずです。渡し方も郵便で送ったり、手渡ししたり、テーブルに置いておいたりと、相手のことを思って工夫します。
本命彼女になるには、同じ愛を持っていても、表現する時の技術や、ちょっとの我慢を必要とします。力任せにまっすぐぶつけることは賢い方法ではありません。
愛情表現=パッケージ!大きな問題点
よく高校生カップルなんかが「彼のこと愛してる」みたいなこと言っているのを見て、違和感を覚えます。
また、結婚式場で新婚カップルが「一生愛します」と言っていても「でも離婚するかもしれないよね」とも思います。
「愛してる」とは、言葉にすると大変薄っぺらく感じてしまいます。本当に愛していなくても、言葉でならいくらでも言えるからです。
「愛情表現」を見ると、我々は「ああ、愛してるんだろうな」と思いますが、「愛情表現」自体が愛ではありません。あくまで「愛情表現」は商品を包むパッケージです。
パッケージの中をよく見ること
「私はあなたを愛している」というのは、セリフです。誰でも言えます。中身がなくても言えます。嘘でも構いません。つまり、騙そうと思えばいくらでも騙せます。
いくらパッケージにきちんと商品説明が載っていても、それをよく読んで買ったとしても、中身が空っぽのことがあります。それが恋愛です。
恋愛は自分をよく見せようとします。本来の自分の姿から背伸びした状態で人に見てもらいたいからです。また、見る方も盲目になっていることがあります。パッケージだけに惹かれてつい買ってしまうのです。
大きな箱だと思って期待して開けてみても、中身が小さなものだったり、何も入っていないことはよくあることです。
本命彼女であるかどうか知りたい時は、彼のパッケージに惑わされてはいけません。パッケージの中を知りたいと思わなければなりません。
川で溺れていたら、私のこと助ける?と女性は聞くことがあるそうですが、言葉でならいくらでもいいことが言えます。
大事なのは、究極の場面に彼と一緒に遭遇し、彼がどんな判断を下すのかよく観察することです。
女性もパッケージの剥がれた彼を見た時、それでも愛していると思えるかどうかで、彼が本命の彼なのかどうか測るのです。
顔がかっこいいとか、背が高いとか、優しいなどという、パッケージだけの存在ではなく、本当の彼を直視できるかどうかというのも、二人の愛を試すきっかけです。
本命の彼女でいる為には、彼のことも本命と思っていなければなりません。お互いにパッケージが取れた状態でも、中身がきちんとあるかどうか、見せ合って確認していくものです。
幸せな人は愛される…現状を嘆かない
赤ん坊がいるとします。生まれたことに大人が喜び、みんなが笑顔になります。赤ん坊は愛されています。
赤ん坊は泣いたり笑ったりしていますが、恐らく幸せを感じているでしょう。
乳を飲んで満腹になり、眠くなったら眠る。ただそこにいるだけで価値がある存在として、みんなに愛されています。
そして、今誰にも愛されていないことを嘆いたり、不幸な現状を呪ったりしながら、自分をどんどん追い込んでいくのです。
自給自足できる人になる
もし「自分は今お腹がすいている」と思ったのなら、どうしますか?きっと用意をして食べたり、外食したりするのではないでしょうか。
では「今、誰かに愛されたいな」と思ったのならどうでしょうか。誰かが愛してくれるのを待ちますか?それとも、誰か愛して!と大声で叫びますか?
空腹感、とは脳が感じているものです。例えさっきご飯を食べたばかりでも脳が空腹に感じれば空腹だ!と思うものです。
では、愛はどうでしょうか。
愛はどの店にも売っていません。友達から分けてもらうこともできませんし、誰かの愛を見ると余計に愛が不足していることを実感します。
しかし、それは脳で思っていることでしょうか?
誰かに愛されたい時、一番不足しているのは「自分への愛」です。自分のことを大切にして、労わり優しくしてあげることです。
ナルシストではなく、自分自身が自らの保護者でいなければならない、ということです。「自分というのは、ほんとどうしようもない人間だけど、案外いいやつなんだよ」と思えるかどうかです。
誰かに愛されたくて叫び出しそうな時、もしかすると自分で自分を否定してしまっているのかもしれません。
自分で自分を否定している人は魅力的ではありません。自分のことが嫌いになると、うまくパッケージを作れなくなるからです。
自分の愛は、自分でしか補えません。誰かの愛を待っていても手に入りませんし、待っている時間は苦痛でしかありません。自分で自分を愛せる人のところに幸せはやってきます。愛は自給自足できるものです。
幸せな人のところに人は集まる
幸せそうな人を見ると、こっちまで幸せになったような気分になることがあります。自然と笑顔になるとき、ぽろぽろと愛が周囲にこぼれているのです。人はそれを見ると、とても幸せになります。
人はみんな幸せになりたいですから、それを見たとき、その人もまた笑顔になります。
幸せも不幸も連鎖するものですから、どうせなら幸せが連鎖した方がいいでしょう。
そんな幸せな人は、自分が人から愛されることにとても肯定的です。愛で満ちた女性を愛する男性もまた、幸せになれます。
幸せになるとは、とても難しいようで、実は単純なものでもあります。
お腹がいっぱいになる、眠くなたら眠る、楽しいことを考える。そんな自分は自分によって保護され、自分で自分を肯定できる。
他人の手助けや特別な道具は必要ありません。今ここにいることに感謝できれば、すぐに実感できるものです。
誰かを幸せにしたいなら、まずは自分が幸せになってみること。そうでなければ、彼のことも幸せにすることはできません。
恋に恋した乙女のままではいられない
シンデレラのように、ガラスの靴を落としたのに、いつまでたっても王子様が探しに来てくれない。しょうがないからガラスの靴を探しに行ったら捨てられてた…。
恋することに夢見てしまって、現実から目を背けていては、折角愛されていてもそれに気づくことができません。
素敵な王子様が現れるのを待つのではなく、目の前の男性を王子様にするのが現実の恋です。
人のいいところを探すこと
理想や夢を持つことは大切なことです。しかし、理想や夢が大きすぎて、現実と見比べた時にギャップが大きいと幻滅してしまいます。
理想と比べてしまうと、鼻が低い、足が短い、ヒゲが濃い…と悪い部分ばかり目についてしまいますが、その人にはその人のいい部分がたくさんあります。
人の悪い部分を探すのは案外容易ですが、いい部分を見つけるのは難しいものです。
しかし、その難しいことができたとき、きっと現実に戻ってきているのだと思います。
ちょっとした、わずかなことにも恋ができたら素敵です。ずっと恋したままではいられないからこそ、少しのことでもいい部分を見つけて恋することができるような人になれれば、誰かに愛された時に素直に感謝できるはずです。
それはまだ愛じゃない!道は後ろにできるもの
未来形の約束、というのは難しいものだなあ、と先日しみじみ思いました。
数日以内に調理しなければいけないもやしを、うっかり忘れていて、結局捨てるはめになってしまったのです。
ふと思えば、結婚式で誰もが「一生愛し続けること」を誓うのに、離婚する人が多いということはみんな誓いをやぶったことになります。
やぶるくらいなら、結婚式の時に「どうなるかわかりません」と宣言しておけばいいのに、と思います。
というのも、例えば道は自分が歩いた後にできるもので、目の前にはまだ歩いていないただの地面が広がっています。自分が歩いた部分がどんどん道になっていきます。
愛してるかどうかは、その為に今まで何をしてきたのか、という部分に集約されています。楽しいばかりではなく、辛いことを耐えるのも愛です。
簡単に愛してると言える男
もし付き合って間もない彼が「愛してる」を連発したら、よく注意してみた方がいいでしょう。
男性は女性に「愛してる」と言えば、簡単に体の関係に持ち込めると思っている場合があります。
確かに好きでもない男性とは、そういう関係になりたくないものですが、焦って早く関係を持ちたいと考えている男性は、女性を大切にしたいとは思っていません。
もし愛してるなら、連帯保証人にもなってくれるでしょうし、ビルから落ちそうになっても命懸けで助けてくれるものでしょう。
それでもし命を落としても恨まないはずです。
本命彼女になりたいのなら、このような「遊び目的の男」とは早い段階でさよならできる体質になっていた方がいいでしょう。
「あ、こいつダメだな」とわかったら、すぐにお別れし、次へ行くのです。
未来形の約束を断言する人、まだできてもいない道の話をする人、愛してると簡単に言ってしまう人は、要注意かもしれません。
安い女にならないで!今日から本命彼女になる
自分がどの程度の女か、価値を決めるのは誰でしょうか。彼でしょうか、親でしょうか。それとも世間の人でしょうか。自分の価値を決めるのは、自分です。
等身大のパッケージを作る
人に点数をつけるとした場合、どこに基準を置きますか?ルックス、学歴、年収…様々ありますが、統計をとって平均点というのがあったとしても、基準は存在しないと思います。
もし年収だけとか、ルックスだけ、と区切るならまだしも、様々な要素が複合された一人の人間に点数をつけようとした時、とても数字では表せません。
積極的じゃないから点数が下がるとか、ブスだからダメだとか、マイナスしていくと最後はゼロになりますが、ゼロであるはずがありません。
このように、毎日できたことをポイントカードのように加算していけば、自然と自分の価値は上がります。昨日より今日の方が経験した分、価値が高いのです。
過小評価もいけません、誇大広告もいけません。箱を開けた人が「そうだ、これだ」と納得できるパッケージで売り出していくことをしなければ、どちらにしても相手に失礼なのです。
高価な女=本命彼女!
例えば「足細いですね」とか「かわいいですね」と言われた時、つい咄嗟に「いえいえ、そんな」と言ってしまうかと思います。
謙遜することは、コミニュケーションを円滑に行う上では必要です。
しかし、「本音と建前」というのは使い分けなければなりません。「かわいいね」と言われたら、本当に「そんなそんな」と思わずに「そうよ、私かわいいのよ」と思ってしまって構いません。
人からの評価など、あってもなくても同じです。外で風が吹いているようなもので、評価されたから価値が上がるとか下がるということはないのです。
大切にされる女性は自分の価値を上げている
安っぽい女は、不思議なことに自分で自分を安く評価しています。本当は80点でも、50点だと嘯いて簡単に手に入るような演出を自らしているのです。
手に入れた男性も「安いから買った」と思うことでしょう。
安く手に入れた女は大切にはしてもらえません。例え、パッケージの中身が同じものだったとしても、安く購入したか、高く購入したかで、扱いが変わるのと同じです。
安売りしないと誰も買ってくれない!は間違いです。本当の自分の価値を知っている女が、本命彼女になることができます。
幸せな恋愛は、恋という着火と、愛という底なしの泉と、女の計算によって成り立ちます。自分が幸せになりたければ相手を幸せにすることです。高価な女と思ってもらえたら、男性は喜び、女性も喜ぶことになります。
自分の価値を上げる、そして高価な女に見せる。本命彼女になる為には、この二つを実行することが近道です。遊びの女を卒業して、大切にされる女性になりましょう。
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