現代人よりも情熱的!?うっとりする百人一首で詠まれている恋歌

百人一首と聞いて、まっ先に思い浮かべるキーワードは「難しそう」や「よくわからない」など、ネガティブなものではないでしょうか。

しかし、実は百人一首には現代にも通じる恋の歌、「恋歌」もたくさん収められていて、その情熱的で美しい表現力に注目が集まっています。

今回は、そんなうっとりすること間違いなしの百人一首で詠まれている恋歌をご紹介していきたいと思います。

百人一首とは現代で言うところのラブレターのような役割があった

さて、そもそも百人一首とは、一人一首詠んだ歌を100首集めてまとめた秀歌集のことで、代表的なものには「小倉百人一首」があり、「歌がるた」としても用いられています。

百人一首が一躍脚光を浴びたきっかけとなったのが、末次由紀(すえつぐゆき)原作の漫画、「ちはやふる」。

2011年~2013年にはアニメが放映され、2016年には広瀬すず主演で実写映画化されたことで、爆発的な人気になったことは記憶に新しいのではないでしょうか。

それ以来、どこか小難しいイメージのあった百人一首も、私たちの身近に感じられるものになったと言えます。

そんな小倉百人一首の分類は、恋を詠んだ歌や四季を詠んだ歌、日常の気持ちや出来事を詠んだ歌、別れの歌、旅先で詠んだ歌などに分けることができるのですが、興味深い配分となっていることが分かりました。

<小倉百人一首の分類>

  • 恋歌 ・・・ 43首
  • 四季歌 ・・・ 32首
  • 雑(日常の気持ちや出来事など)歌 ・・・ 20首
  • 羇旅歌(旅情の歌) ・・・ 4首
  • 離別歌 ・・・ 1首

何と、恋の歌が最も多く詠まれており、次いで四季の歌が多く詠まれていることが分かりました。

100首ある中の43首ですから、決して少ない割合ではないですよね。

現代のように、好きな人ができたからといって気軽に話しかけることも、ましてや気持ちを伝えるなどということが容易くできなかった時代。

当時の人は、こうして和歌を通じて自分の気持ちを相手に伝えることが日常で、言ってみれば、百人一首は現代で言うところのラブレターやブログ、ツイッターのような役割を担っていたということなのです。

現代人より情熱的!?百人一首で詠まれている萌えキュン恋歌

さて、ここからは早速、百人一首で詠まれている恋歌を見ていくことにしましょう。

ここでは、思わず胸がキュンキュンしてしまう萌えキュンな恋歌をご紹介していきたいと思います。

筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞ積もりて淵となりぬる

こちらの歌は、百人一首である後撰集の第十三首、陽成院が詠んだ歌。

「筑波嶺」は筑波の山のことをさし、「男女川(みなのがわ)」は筑波の山から流れる川のことをさしています。

<意味>

筑波の嶺から流れる男女川も、やがて大きな川となって淵ができる。同じように、私の恋しいあなたへの想いも積もって、やがて淵となってしまうことでしょう。

筑波の山を流れる川は、どんどんと水が湧き出て深くなっていく。

そんな状況を、自分が持つ恋心に照らし合わせたものと言ったところでしょうか。

溢れるほどにその人への愛がこみ上げてくる・・、好きで好きで仕方がないという気持ちがひしひしと伝わってくる歌と言えるのではないでしょうか。

住の江の岸による波よるさへや夢の通ひぢ人目避くらむ

百人一首、古今集の第十八首、藤原敏行朝臣の歌。

この歌の背景には、この時代特有の婚姻スタイルが見え隠れしていると言えます。

平安時代の前期までは、「妻問婚」といって、女性は実家にいながら男性が好意を寄せる女性の元へ通うスタイルとなっていました。

今のように一夫一婦制の決まりはなく、多夫多妻が認められていたため、父違いあるいは母違いの兄弟姉妹がいるなんてことは珍しくはない時代でした。

<意味>

入り江の岸には夜でも波が押し寄せるのに、あなたは夢の中でさえも人目を気にして私に会ってくれない

この歌には主語がなく、男性目線で歌ったのか、女性目線で歌ったのかは定かではありませんが、いずれにせよ、自分はこんなに想っているのにあなたはその気持ちに気づいてくれないといった、もどかしい気持ちが含まれていると言えます。

難波潟短き葦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや

こちらの歌は、百人一首である新古今集の第十九首、伊勢の歌。

葦の節は短く区切られていますが、そのことと会えない時間をなぞらえて詠まれた歌といえます。

<意味>

難波潟に生えている葦の短い節と節の間のような時間でさえも、あなたに会わずにこの世を過ごせというのでしょうか

平たく言うと、「好き過ぎて、会いたくて会いたくてたまらない!」ということ。

葦の節のように短い時間でさえも、あなたに会えない時間は私にとって苦痛です・・といった意味が込められていると推測されます。

いつの時代も、人を好きになることは幸せも苦しみも伴うものです。

好きの度合いが大きくなればなる程、会えない時の苦しさは計り知れなく、片時も離れたくない!と思ってしまうものなのですね。

今来むと言ひしばかりにながつきの有明の月を待ち出でつるかな

この歌は、百人一首で、古今集第二十一首、素性法師が詠んだ歌。

情景が浮かぶようなキレイな歌で、確たる意味が分からなくても何となく想像がつくのではないでしょうか。

長月は9月のこと、有明は陰暦の16日以降のことで、空に月を残して夜が明けてしまうことをさしています。

<意味>

あなたが「すぐ行くよ」というから、九月の長い夜を待ち続けていたのに、とうとう月だけ残して夜が明けてしまいました

いつの時代も、好きになってしまった方が待ち続けるのでしょうか。

秋の長夜に、好きな人から「今すぐ行くから」と言われたら、待ち続けてしまうものです。

しかし、待ち人が来ることはなく、結局、うっすらした月だけを残して朝がやってきてしまった、という切ない気持ちを美しい世界観で詠んだ歌と言えます。

かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを

こちらは、百人一首の後拾遺集第五十一首、藤原実方朝臣の歌。

藤原実方の恋人はあの清少納言で、彼女に負けない和歌を作りたいと詠んだのがこの歌だったそうです。

ハンサムでプレイボーイだったと言われる藤原実方。

そんな彼にこんな情熱的な歌を詠まれてしまったら、恋に落ちてしまう女性は多かったかもしれませんね。

<意味>

こんなにもあなたを想っているのに打ち明けることができません。伊吹山のもぐさのように、あなたを想って熱く燃えていることなんてあなたは知らないでしょう

「好き」という気持ちは誰にも負けないのに、打ち明けることができない。

現代においても、そんな恋の悩みを抱えている人はいるのではないでしょうか。

道ならぬ恋なのかもしれないし、友達以上恋人未満の間柄、または元恋人との復縁を願う人を好きになってしまったなど、事情はさまざまですが、自分の気持ちを伝えられない状況下で頑張っている人にこそ教えてあげたい歌ですね。

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

こちらは百人一首、新古今集第八十九首、式子内親王の歌。

式子内親王は新古今集時代の代表的な女流歌人として名高く、この歌は後の世にも多くのファンを持つ秀歌とされています。

こちらの歌は、「忍ぶ恋」という詠題(歌のテーマ)が与えられていたとされ、恋愛スタイルが多様化する現代において、共感する人は少なくないかもしれませんね。

<意味>

我が命よ、絶えるのならば絶えてしまえ。このまま生きながらえて、愛しい人への想いを抑えることができなくなって、他人へ恋心が知られてしまうといけないから

こちらの歌も自分の恋心を誰にも悟られないように、耐え忍んで好きな人を想い続けるというニュアンスの歌となっているわけですが、先程の藤原実方よりも、より切実な感情が渦巻いているように感じます。

自分ではもはや制御できないほど溢れ出してしまう恋心に戸惑う様子、あるいは、結ばれないと知りながらそれでも愛し続けてしまう心の葛藤を詠んでいるのかもしれません。

切なさは時を超える!?百人一首で詠まれているもらい泣き恋歌

百人一首の恋歌の中には、切ない恋心を詠んだ歌も多く存在します。

ここでは、選りすぐりの切なさの、もらい泣き恋歌をご紹介していくことにしましょう。

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな

百人一首の後拾遺集、第五十首、藤原義孝が詠んだ歌です。

この歌は、藤原義孝自身の気持ちを読んだ歌で、初めて逢瀬した後に愛する人に届けた歌と言われています。

<意味>

あなたに逢うためならこの命は惜しくないと思っていましたが、いざ、こうしてあなたに会えた今、いつまでもあなたと一緒に居るために長く生きたいと思うようになりました

現代においても、自分自身の価値が見出せず、「自分なんていてもいなくても一緒」なんて思ってしまう瞬間がありますが、こんな風に好きな人に思われていたら、自分も一生懸命生きなきゃいけない、と思ってしまいますよね。

あるいは、愛というものを知らなかった人が初めて優しさに触れたときに、こんな風に思うのかもしれません。

藤原義孝はハンサムで心優しい和歌の天才だったといいますが、そんな人柄がにじみ出るような、ホロリと涙が出てしまう作品といえます。

今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな

百人一首である後拾遺集第六十三首、藤原道雅(左京大夫道雅)が詠んだ歌です。

この歌を送った相手は伊勢で巫女をしていた女性と言われています。

巫女は神に仕える身ですので、当然ながら恋愛は御法度です。

しかし、その任を解かれれば一人の女性に戻る訳で、想い人への気持ちに応えることも叶ったはずなのですが、親に反対されその恋は破れてしまうのです。

<意味>

「あなたを諦める」と直接伝えたいだけなのに、人づてでしか伝えられない。あなたに逢って伝えられたらいいのに

お互いの関係が破綻している状態であれば、もしかしたら好都合ととるかもしれない状況ですが、この場合は、お互い想い合ってのことで、心痛いかばかりかと思う光景です。

例えば、好意を伝えていた相手に恋人ができてしまった場合、両想いになることは叶わなくても、けじめとして諦めることを伝えたいとします。

しかし、相手の恋人が会うのを許さないから直接会って話すことができなく、メールやSNSを使って好きだった相手に別れを告げる。

この方法も悪くはないかもしれませんが、自分の気持ちってもっと本気でその人のことを好きだったはずなのに、最後の別れの言葉を言う機会も与えてもらえないなんて、ちょっと切なすぎますよね。

温故知新!百人一首で詠まれている恋歌は現代人の恋のバイブル

今回は、百人一首の恋歌についてご紹介してきました。

百人一首は言葉遣いも古く、何だかよく分からないと敬遠してしまう人が多いと思いますが、実は、詠まれていることは現代にも通じるものがたくさんあります。

何十世紀も前の恋の歌は、現代の恋するすべての人のバイブルであり、背中をそっと包み、勇気を与えてくれる存在なのかもしれません。

情熱的に自分の気持ちに素直に向き合っている百人一首の恋歌、ぜひ、皆さんの恋愛に活かしてみて下さいね!

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